アブドーラ・ザ・ブッチャーが引退式でファンへ向けて「親を大切にしよう」

昭和のプロレス界で外国人レスラーとして最高の人気を獲得したアブドーラ・ザ・ブッチャーの引退式が、2月19日に両国国技館で行われました。

引退式では、ファンへ向けて「親を大切に」というメッセージを残しました。そこで、今回はアブドーラ・ザ・ブッチャーについて、アブドーラ・ザ・ブッチャーが引退式で語ったこと、今後の現役復帰についてお伝えします。

アブドーラ・ザ・ブッチャーとは

アブドーラ・ザ・ブッチャーは「黒い魔術師」の異名で知られるプロレスラーです。1941年生まれで、アフリカのスーダン出身を名乗っていましたが、実際はカナダ合衆国出身です。

ヒール(悪役)レスラーとして昭和のプロレス黄金期を支えながら、2012年1月まで現役を貫きました。初来日は1970年8月で、日本プロレスの「サマー・シリーズ」でした。しかし、このときは新参レスラーが多かったため、ブッチャーはその他大勢扱いだったのです。

1972年に馬場が全日本プロレスを旗揚げすると、ブッチャーは馬場のライバルとしてレギュラー参戦します。悪役として怖れられた一方、どことなく憎めないお茶目なキャラクターも次第にファンの間で知られるようになります。

1980年にはサントリーのTVCMに登場しており、全日本プロレスで大人気のレスラーとなります。2008年には主戦場の一つであったプエルトリコのWWCで、2009年には故郷にしてデビューの地でもあるカナダで地元限定の引退試合をしていましたが、日本ではその後もいくつかの団体にスポット参戦をしていました。

2012年1月の全日本プロレス「新春シャイニング・シリーズ」で現役引退を表明しました。そして、2019年2月19日に両国国技館で開催された「ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜」の中で、ブッチャーの引退セレモニーが執り行われました。

アブドーラ・ザ・ブッチャーが引退式で語ったこと

1999年1月31日に61歳で亡くなった不世出のプロレスラー、ジャイアント馬場の没後20年をしのぶ「ジャイアント馬場没20年追善興行〜王者の魂〜」が19日、両国国技館で行われ、馬場の好敵手であった「黒い魔術師」アブドーラ・ザ・ブッチャーの引退セレモニーが開かれました。

紺のガウンを身につけたブッチャーは、股関節を負傷している影響から車椅子でリングに上がりました。セレモニーには、ドリー・ファンクJr、スタン・ハンセン、初代タイガーマスクの佐山サトル、フリーアナウンサーの徳光和夫らがリング上で花束を贈呈しました。

セレモニーの最後にマイクを持ったブッチャーは、ファンへ感謝の思いを伝えた上で「ここにジャイアント馬場がいてくれたら完璧です」と思いを明かしました。

その上で、「若い人たちに言いたい。自分の親が年取っても決して老人ホームにぶち込んで忘れるようなことだけはするな!いずれお前たちも年取ってそうなるんだから。ちゃんと親を大事にしろ!忘れるんじゃないぞ!」と呼びかけました。

最後には、「サンキュー」を6回連呼して引退の10カウントゴングを鳴らし、リングに別れを告げました。

アブドーラ・ザ・ブッチャーの引退式とその裏側で現役復帰へ意欲

今回の引退式でアブドーラ・ザ・ブッチャーは、紺のガウンに身を包ん車椅子で登場しました。股関節を痛めており自力で歩行できないためであり、今後手術を予定しています。

手術には体重の減量が必要だと告げられており、股関節の手術とリハビリが順調に進めば再び歩くことが可能になる見込みです。その上で、周囲に手術が成功すれば「またリングに上がる」と打ち明けているそうです。

まとめ

さて、今回はアブドーラ・ザ・ブッチャーについて、アブドーラ・ザ・ブッチャーが引退式で語ったこと、今後の現役復帰についてお伝えしました。

引退式に登場した際には、手術が成功すれば、またリングに上がるとも語っていたので、今後もリングで見ることができるかもしれないですね。